司会者のこだわり30回記念~司会の師匠の深川導運について
「司会者のこだわり」第30弾です。
今回は何を教えてくれるのかな?
今回は30回記念に、私の師匠についてお話しします。
- 司会者歴50年以上!
- 天童よしみの専属司会者を14年!
- タレントとしても北海道で活躍
前回の記事
深川導運
若い
師匠って・・・
今までにも話に出てきてるよね?
名前を深川導運(どううん)と言います。
1944年(昭和19年)5月15日、神田で生まれました。
戦中だったので、すぐに疎開で北海道に来ましたけどね。
本名は深川勝彦で、私は深川先生と呼んでいます。
このブログの2019年時点で・・・
75歳!?
バリバリ現役です。
見た目も非常に若く、どのイベントでもお客様に驚かれます。
イベントの間は基本的に座りませんし、ご飯も食べません。
イベントの間って・・・
丸一日の時もあるじゃない!
そういう意味では私より若いですよ。
先生の分のお弁当を私がもらって食べることもあります。
先生が立ってる横で、私が椅子に座ってることもあります。
師匠はスゴいと思うけど・・・
弟子がスゴくなさすぎない!?
仕事
先生に来た司会の仕事は、私たち二人でやります。
司会者が二人なんて、聞いたことないわ
男の人がメインで、アシスタントに女の人、という形態は多いですけどね。
メインが二人いて、どちらも男性というのは、珍しいと思います。
- 爺さんと孫(年齢差41歳)
- 長年(6年間)の阿吽の呼吸
この二つが面白く、お客様にもウケています。
私たちは二人ともお笑いタイプなので、先生がボケて私がツッコミする、漫才のようなやり取りをよくやっています。
司会者が漫才・・・
来歴
歌手
深川先生は10代の頃から、歌声喫茶で歌っていました。
歌声喫茶?
生演奏でお客が歌える喫茶店のことです。
私もよくは知りませんが、昭和30年代から流行し、カラオケの普及と共に廃れていったそうです。
そこで深川先生は歌って、お金をもらっていたそうです。
元々は歌手だったのね!
本人は「そんなたいしたものではありませんよ」と謙遜しますが、今でも周りからの歌の評判はすこぶる高いです。
司会者で舞台を繋ぐ時に、一曲歌ったこともありますからね!
漫才もそうだけど・・・
歌う司会者も聞いたことないわ!
司会者として
その後20歳過ぎから司会者をやるようになります。
スナックを経営することもあったそうですが、本格的に司会者を名乗るようになったのは29歳の時だそうです。
私も29歳で深川先生に弟子入りしているので、運命めいたものを感じますね!
深川先生は、他にお弟子さんはいるの?
先生が今までに教えてきた人は何人もいますが、全てを継いだ(継ぐ予定の)弟子として、先生からお墨付きをいただいたのは私だけです。
現在は私が唯一の弟子を名乗っております。
深川先生も誰かに教えてもらったのかな?
先生も師匠がいて、そこで7年修行を積んだそうです。
一人立ちするまでにそんなにかかるなんて・・・
厳しい世界だね
天童よしみ
専属司会者
深川先生はある時、有名になる前の天童よしみさんと出会います。
どの天童よしみよ・・・
日本人ならまず誰でも知っている、あの天童よしみです。
とある場末のスナックに、天童さんが歌いに来て、深川先生が司会をしたイベントがあったそうです。
そこで深川先生が天童さんのお母様に気に入られて、専属の司会者になることになります。
専属の司会者?
今の若い人には馴染みがないですよね。
最近の歌手のライブやコンサートに、司会者はいませんから。
見たことないわ
私もこの業界に入るまで知りませんでした。
演歌歌手で有名な方には、必ず専属の司会者がいたんです。
あの綾小路きみまろさんも、かつては森進一さんの専属司会者だったんですよ。
そうなんだ!
知らなかった・・・!
現在だと、北島三郎さんや氷川きよしさんも、専属の司会者がいます。
14年間
そして天童さんの専属司会者になった深川先生は、その後14年間、天童さんと一緒にツアーで国内を回ります。
14年間も!?
先生は「15年か16年かも知れません。はっきり思い出せませんから、少なく言っておきましょう」と言ってましたけどね。
多めにサバを読むわけじゃないのが、素敵ね
その間に天童さんは頭角を現し、紅白にも出場して、トップ歌手になります。
深川先生も忙しかったようですね。
この時のエピソードはたくさん面白い話があるのですが、別の機会にお話しします。
そんな天童さんの専属司会者を、どうしてやめたの?
え?やめたの?
14年間やったって過去形じゃない。理由があってやらなくなったんでしょ?
そう、やめざるを得ない理由がありました。
テレビ出演
深川先生は、実はお笑いタレントでもあったんです。
お笑い!?
司会者の他に、占い師でもあるんです。
そして手相鑑定をネタに、お笑い漫談や講演をたくさんしていました。
ちなみに、75歳の今も舞台で漫談を続けています。
手相漫談って、島田秀平みたいね
あれ?司会者をして、お笑い漫談もするなんてさ・・・
あ!さっき話に出た、綾小路きみまろさんと同じじゃない!
そのお笑いが切っ掛けで、北海道のテレビのレギュラー出演が決まったのです。
レギュラーってどれくらい?
お昼の番組で、毎日です!
毎日!?
月~金まで、毎日です!
そりゃあ、北海道から離れられないよね・・・
そのため、天童さんの専属司会者を辞めることになったそうです。
ちなみに、この時に北海道テレビの専務が深川先生の芸名を決めて、『深川導運』となったそうです。
テレビタレントから再び舞台の司会者へ
そこから先生のタレント活動は熱を帯びていきます。
土日は司会者として仕事があり、平日はテレビタレントですからね。
休む暇もなかったようです。
忙しすぎるよ!
体を壊さないかしら・・・
そのテレビは終了するまでの6年間、毎日出演し続け、一度も休むことはなかったそうです。
鉄人過ぎる・・・!
他にも、たくさんの北海道のテレビやラジオ、CMに出演します。
レポーターとしてデパートや地方にも行くようになり、司会者としてではなく、タレントとして北海道で有名になりました。
すごいわね!
ただし、その間は私が東京にいた時と、ちょうど被っているんです!
高校と大学が東京でしたから、北海道のテレビを見たことがなくて・・・。
あれ?じゃあ深川先生のことは・・・?
恥ずかしながら、弟子入りするまで知りませんでした。
やっぱり酷い弟子ね!
恥ずかしいって言って、文字の色で目立たせてるもん
その後番組が終わったタイミングもあり、先生はまた舞台の司会者をメインとして、活動するようになります。
名誉や地位にこだわる人ではないので、有名になったテレビにも未練はありません。
「やっぱり舞台が好きですねぇ」と、今もよく言っています。
素敵な人ね
そんな時に、私が弟子入りで飛び込んだワケです。
飛び込んだって、どうやって?
弟子入りの時の話は、また別の機会にしましょう。
またキリ番の記念に話します。
まとめ
- 司会者歴50年以上!
- 天童よしみの専属司会者を14年!
- タレントとしても北海道で活躍
深川先生のことについて、お分かりいただけたでしょうか?
よく分かったよ!
今75歳ってことは、司会者として50年以上も舞台に立ってるのね!
それだけのキャリアがある方なので、どの現場でも、どんな人からでも「深川先生」と呼ばれています。
へぇ~、そりゃあスゴいなぁ
尊敬されているのね!
それだけ、人間性が素晴らしい方ですから!
師匠のことが大好きなのね!
・・・よし、決めた!
・・・何を?
僕も「先生」って呼ばれるようになる!!
あんたにそれだけの人間性があれば呼んであげるわよ・・・
以上
「司会者のこだわり30回記念~司会の師匠の深川導運について」でした♪